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志熊俊一(プロレス:キラーシクマ)

Title:シクマシュンイチ


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 今、柳井市にゆかりのある「キラーシクマ」が幻のプロレスラーとして注目を浴びています。
 ことの起こりはプロレス関係のホームページの全プロレスラー名簿に「キラーシクマ」の名前がなかったために、祖父の名前を載せてほしいと打った孫娘のメールにより一躍注目を浴びるようになりました。
 キラーシクマ(本名:志熊俊一/しくま しゅんいち)は、明治38年(1905)ハワイに生まれ、少年時代に日本に帰国して柔道を始め、昭和5年に教員募集に応募してハワイに戻り、その後プロレスラーになりました。
 元世界ヘビー級王者のアリババと2戦して1勝1敗、当時の世界ヘビー級王者エベレット・マーシャルにも挑戦し、1敗1分けの善戦をしています。
 また、後の王者ルー・テーズとも戦っています。
 その後、日本に帰国して再び教壇に立ち、最後には神東小学校の校長の職に就きました。
 柳井市内に住む息子さんによると「プロレスのことはあまり話したくないようでした。」というように、帰国後はプロレスについてあまり話さなかったために、今まで埋もれてきたようです。

<柳井市史にも以下の通り掲載があります。>
 志熊 俊一  明治38年(1905)〜昭和35年(1960)
 ハワイに生まれて、少年時代に帰国、身長182cm、体重95キログラムの巨漢で、大正14年(1925)に山口県師範学校を卒業後は新庄小学校を振り出しに教員生活に入ったが、得意の柔道指導には各地の補習学校、旧制中等学校から招聘されていた。
 昭和5年(1930)に、生まれ故郷のハワイの日系人学校から招かれて渡航し、翌6年には柔道五段に昇進した。
 一方、このころからレスリングにも取り組み、昭和8年6月、わが国の練習艦隊がハワイ訪問の際には歓迎試合が催され、3,000人の観客を沸かした。これもハワイ有段者会長 志熊五段の平素の指導のたまものであった。
 その後、プロレスへの勧誘を受けてその修練を重ね、柔道の実力を活用して独自の技を完成した。
 昭和13年には重量級の世界選手権試合に日本人として初めて参加し、「キラーシクマ」の名をうたわれた。
 しかし 2年後の昭和15年には帰国して再び教壇に立ち、最後には神東小学校長として在職中、55歳をもって長逝した。

Memo    
●メモ:  

資料提供:柳井市企画課・柳井市史
監修:松岡睦彦
H23.08加筆

 
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