バナー
本文へジャンプ HOME 

松島詩子(歌手/柳井市名誉市民)

Title:マツシマウタコ


Photo



Data

松島詩子(歌手)
平成3年3月27日 柳井市名誉市民選定
[1905(明治38)年5月12日〜1996(平成8)年11月19日]

 松島詩子(本名・内海シマ)は、昭和7年4月に「柳井はるみ」の芸名で日本コロムビアからレコード歌手デビューしました。後にキングレコード専属となり、山田耕筰命名の芸名「松島詩子」として、戦前・戦後を通して数々のヒット曲を発表しました。
 昭和の日本歌謡界を代表する歌手として、平成8年に91歳で他界するまで、半世紀以上にわたり、生涯現役を貫きました。なかでも、昭和12年に発売され、日本中に大ヒットした『マロニエの木蔭』は、心に残る名曲として多くの人に親しまれてきました。
 歌手として活躍する以前の大正12年から昭和7年2月まで、柳井尋常高等小学校(現・柳井小)や日積尋常高等小学校(現・日積小)などの教師として、子弟の教育に情熱を注いだ後も、柳井市から遠く離れた東京にあって、歌手として華やかなスポットライトを浴び大活躍しながらも、ふるさと柳井をこよなく愛し、郷土を想う心で多くの後輩の音楽指導にあたりました。とくに、柳井小学校をはじめ、伊陸小学校、柳井中学校の校歌を作曲するなど、柳井市の教育の発展と地域文化の向上に尽くしました。
 昭和26年から始まったNHK紅白歌合戦には、第1回から第11回まで計10回の出場を果たしたほか、昭和56年には日本レコード大賞特別賞、昭和59年には日本演歌大賞演歌功労賞を受賞しました。昭和53年には永きわたる第一線歌手としての功績が認められ、勲四等瑞宝章を受章しています。
 多くの人にこよなく愛された数々のヒット曲とともに、生涯現役歌手として、歌の道一筋に打ち込んだ真摯な歌手生活は、多くの人々の共感と尊敬の念を得、永く歌謡界の発展に尽くされた功労者として郷土の誇りでありました。その功績を称え顕彰するため、平成3年3月、柳井市では初の名誉市民の称号が贈られました。

<人物データ>
 松島詩子(本名:内海シマ/旧姓:松重シマ)
 明治38年5月12日柳井市日積大原松重家に生まれる。
 大正12年 山口県立柳井高等女学校卒業(同県小学校教員となる)
 昭和6年 文部省中等教員検定試験合格、同年音楽勉強のため上京、作曲家佐々木すぐると出会い、氏の勧めにより流行歌手になることを決心する。
 昭和7年4月 日本コロムビアから曲名『ラッキーセブンの唄』・芸名「柳井はるみ」で歌手デビュー。
 昭和10年 芸名「松島詩子」は、デビューして間もない頃、作曲家・山田耕筰に命名されたもので、キングレコード専属歌手となって以来、生涯の芸名となる。
 昭和12年 『マロニエの木蔭』
 昭和14年 『黒き薔薇』
 昭和25年 『花の溜息』
 昭和26年 第1回NHK紅白歌合戦出場。以来第11回まで計10回出場。(第2回はNHKに向かう途中のタクシー事故により無念の欠場)
 昭和28年 『マロニエの並木道』
 昭和29年 『スペインの恋唄』
 昭和30年 『喫茶店の片隅で』『夜のヴァイオリン』
 昭和53年 東京都小平市母の会初代会長に就任。
 昭和53年11月 勲四等瑞宝章受章。
 昭和55年 著書『雑草のような詩』
 昭和56年 11月 日本レコード大賞「特別賞」受賞。
 昭和63年 自叙伝『マロニエの道60年 わが心の星・歌』
 平成3年 3月 柳井市名誉市民第1号に選定。
 平成3年10月 柳井市サンビームやない前広場に歌碑建立。
 平成8年 11月19日永眠。享年91歳。

Memo    
●メモ: 柳井市名誉市民
松島詩子記念館(柳井市町並み資料館2階)
http://www.yanai-museum.jp/utako/

資料提供:柳井市総務課・柳井市教育委員会生涯学習課・松島詩子記念館

 
〒742-8645 山口県柳井市中央二丁目15-1
TEL0820-22-3731 FAX0820-22-8811
当WEBサイトに掲載されている全データについて無断転載・引用を禁じます。