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弘中又一(小説『坊ちゃん』のモデル)

Title:ヒロナカマタイチ


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 明治27年から翌28年の一年間、柳井小学校に弘中又一(ひろなかまたいち)という先生がいました。
 その後、又一は柳井小学校から愛媛県の松山中学校に赴任し、同僚教師であった夏目漱石と知り合いました。
 漱石は小説「坊ちゃん」を書くにあたって、又一をモデルにしたといわています。
 そのことを柳井でしっているひとは、ほとんどありません。
 これは漱石の研究者である四国女子大学教授 新垣宏一の研究によってわかりました。
 弘中又一は、明治6年12月に周南市湯野の堅田氏の旧家臣の家に生まれ、同志社大学を卒業しました。
 そのとき21歳で、中学校教員の資格がなく、代用教員として柳井小学校に勤務しました。これは又一の長女である田布施町の弘中薫さんの話からも明らかです。柳井市古市の安田長槌さんも、弘中先生の名前を聞いたことがあるそうです。
 そんな又一が「坊ちゃん」のモデルであることは、漱石の娘ムコ 松岡譲の著書「ああ漱石山房」によっても知られています。
 松山中学校時代の又一は、学生から「坊ちゃん」というあだ名をつけられていたといいます。
 又一は柳井小学校在任のころ結婚していて、タカ夫人は親もとの湯野において単身赴任していたそうです。弘中家は、今は人手に渡っていますが、家と屋敷はそのまま残っています。
 又一は、漱石が「坊ちゃん」のモデルにしただけに面白いエピソードがあります。又一は、のちに埼玉県の熊谷中学校に転勤した時期がありましたが、ある日路上で鰻を売っていたので買いました。買ったのはよいが入れ物がありません。そこでかぶっていた山高帽に鰻を入れて持って帰ったそうです。
 又一は、晩年京都に住んで、数学などの研究をしていたそうですが、昭和13年8月に亡くなりました。
 又一の墓は、周南市湯野の常照院の墓地の奥まった一角にあり、墓地の入り口に「坊ちゃんミニ公園」があります。

Memo    
●メモ:  

資料提供:柳井コミュニティーミュージアム
監修:松岡睦彦

 
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