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僧月性

Title:ソウゲッショウ


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 文化14年(1817)、周防国遠崎(今の柳井市遠崎)にある妙円寺に生まれた月性(げっしょう)は、詩人として、また海防僧として業績を残した人物です。
 天保2年、15歳を迎えた月性は4年余り、九州の豊前の恒遠醒窓のもとで詩文を学び、優れた詩人としての基礎をつくりました。
 天保14年、京阪遊学に出郷するに際して作った「男児立志の詩」は有名で、他にも多くの傑作を残し生涯に作った漢詩は千篇をこえるといわれています。
 遊学から帰郷した嘉永元年、月性32歳の時、妙円寺境内に私塾「清狂草堂(別名:時習館)」をひらいて、「尊王攘夷(尊皇攘夷)」・外国の侵略から護国を説く「海防」の急を説きました。
 開塾とともに、遠近各地からその学徳を慕って入塾するものが多く、後の明治維新で活躍する赤祢武人(あかねたけと)、世良修蔵(せらしゅうぞう)、大洲鉄然(おおずてつねん)、大楽源太郎(だいらくげんたろう)、入江石泉(いりえせきせん)、和真道(やまとしんどう)、天地哲雄(あまぢてつお)など多くの人物を排出しました。
 月性は海防僧ともいわれ、海防護国の主張に共鳴した人物も多く、その講説は防長二州の全域にわたり、吉田松陰とも交流がありました。
 松蔭は自分の塾生に月性の講演を聴講させたこともあったとのことです。
 安政5年、君国の将来を案じながら辞世の詩一篇をのこして、維新の黎明をみることなく、病のため42歳でその生涯をとじました。

●詳しくは大畠図書館のサイトをご覧ください●
http://www.lib.city-yanai.jp/obatake/ogesho/post-1.html


●月性ゆかりの妙円寺●
 妙円寺の境内には、月性遺品展示館、僧月性墓、僧月性顕彰碑など、月性を偲ぶ史跡があり、展示館には月性に関わる書画、額画、巻軸、書翰、書冊などが展示されています。境内西側にある清狂草堂は、明治23年、月性の33回忌にあたり、門弟によって旧草堂を模して記念館として建てられたものです。その名のとおり茅葺の六畳、四畳半の二間。西の松下村塾と並ぶ東の草堂としての風格がある建物です。

●月性の著書●
 「清狂吟稿」 「意見封事」 「内海杞憂」

●男児立志の詩●
 「男児立志出郷関 学若無成不復還 埋骨何期墳墓地 人間到処有青山」
(読み下し文)「男児(だんじ)志(こころざし)を立てて郷関を出づ 学、もし成るなくんば、また還らず 骨を埋(うず)む、何ぞ期せん墳墓(ふんぼ)の地 人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり」

Memo    
●メモ: 1817〜1858年
市指定文化財 妙円寺月性に係る書籍・典籍・古文書 

資料提供:柳井市教育委員会大畠出張所・山口県観光連盟
監修:松岡睦彦

 
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