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行里の五輪塔

Title:ユキサトノゴリントウ


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写真工事中

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 柳井市白潟西の行里にある市の文化財「行里の五輪塔」は、凝灰岩製で、薬研彫りの四門梵字がそろっているものは珍しく、その形式や手法から鎌倉時代末期の作といわれています。
 この五輪塔は、現在民間所有で、平井家の庭園隅に、他の花崗岩製の五輪塔(五基分以上)と合祀されていますが、もともとは平井家から東約80mの場所、二個所にあったものです。
 この五輪塔にまつわる「七人陵(しちにんみさき)の伝説」がありますが、平井家にある凝灰岩製のものと花崗岩製のものとは、造られた年代にかなりの開きがあると思われ、この七人陵の伝説とのかかわりは、今後の調査を待たなくてはならないとされています。
 この五輪塔は、高さ99.8cm、総重量137.0kgで、現在のところ市内では最古で最大のものとされています。

●七人陵(しちにんみさき)の伝説(柳井地区の昔話より抜粋)●
 その昔、白潟の百姓は、三年も続く日照りのため稲が実らず、荘園領主であった奈良春日大社に年貢を納められないでいました。
 すると四年目の秋、奈良から、役人一行(役人1人と、付き人6人のあわせて7人)がやってきて、厳しく年貢を取り立てようとしました。
 百姓たちは、このまま飢えて死ぬのを待つか、役人を殺すか、道は二つに一つと、村人総出の話し合いをしました。
 土地の長者の三宅、加屋の二人は、いきりたつ百姓たちを抑え「なんとか話しあい、米がないことをわかってもらおう。」、「お役人も人の子、情けにすがってみよう。」と説得しましたが、「死ぬより先に殺せ!」、「百姓が虫けらと違うところを見せてやれ!」と、燃えさかる松明を手に駆け出し、役人の泊まる本陣を襲いました。
 役人一行の7人は亡き者となってしまいました。
 旅で変死した人の霊を陵(みさき)と呼びます。陵は人に憑いて死界に引きずりこむとして恐れられています。
 陵の崇りか、7人の殺害に加わった者たちがつぎつぎと悪いはやり病に倒れていきました。
 怨霊の崇りと、振るえあがった百姓たちは、加持祈祷(かじきとう)にと走り回りました。
 三宅、加屋の両家では相談のうえ、7人の屍(しかばね)を埋葬し、五輪塔7基を建て、その冥福を祈ったそうです。
 すると、悪いはやり病も終息し、時とともに7人の陵のことは里人の頭からもおぼろげになっていったといいます。

●五輪塔●
 五輪塔は、武家の供養塔です。
 奈良春日神社の末社が白潟に造営されていますので、代官が置かれていた可能性もあり、その代々の墓の可能性もあるとのことです。そうしますと、行里の五輪塔に、年代差があるのもうなずけます。
 五輪塔のほとんどが南北朝時代から室町時代、新しいものは江戸時代のものが多いようですが、行里の五輪塔のように、鎌倉時代末期の五輪塔は珍しいとのことです。

 

Memo    
●所在地: 柳井市柳井893(白潟西) 
●交通アクセス: ・JR山陽本線柳井港駅から徒歩で10分
●連絡先: 柳井市教育委員会 生涯学習課 TEL:0820-22-2111(内線332)
●メモ: 市指定文化財 行里の五輪の塔
※個人所有ですので一般の方は見ることができません。

資料提供:山口県観光連盟・柳井市生涯学習課
監修:松岡睦彦

 
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